2024年02月02日

ラジオドラマ化のはなし。

Xに投稿したのをこちらにも。


ここから



以前もう書かないと書いたけどこの流れで。
自分のラジオドラマ化の時は、上がってきた脚本の出来が良くなく、担当者も「原作のいいところが出ていない」との見解だったため、作者が脚本を書き直させてもらいました。最初から作者が書くのは駄目と言われました。

数話構成で、ある1話は直しすぎてNGが出た。その時の制作側の説明は(担当経由)「原作者は原作で入れられなかったテーマを他メディア化で入れようとするが、そういうのは駄目」だそうです。心当たりがあったのでもう少し控えめな直しに変更。

脚本家は制作側が連れてきた慣れてない新人の女性で、挨拶だけしています。会話無し。直しは受け入れてもらえたので今から思えば良かったけど「アレを読んで何故こうなる?」と、かなりのストレスに。作業も増えたし、作業報酬も無しです。そういえば特にラジオドラマ化料もなかった気がする。

作者が相当直したことは今まで人には言ってないし、ラジオドラマもそれきりだったため誰も聞くことはないのが幸いとしか。そのことを単行本の巻末に書こうとしたらY編集長からボツを出された。「制作側は反論の機会が無いから」だそうです。

愚痴っぽくならないように「あったことをそのまま書こうとしただけ」なんだが、相手側にとってはそれがまずいんでしょうね。

原作とは制作会社にとって飯の種で、原作者は許諾だけしてうるさく言わないで欲しいという本音を制作会社の社長から直に教えてもらったので、それは教訓になってます。
騙したりスルーでは無かったから、はっきり言ってくれる人でまだ良かったかも。

何十年前のことだかわからないけど多分一生忘れないです。
もし守り切れなかったら、もっとつらいことになったかも。
メンタル弱いんです。

こちらが脚本を直せたこと、制作会社社長が良くも悪くも正直なタイプだったため最悪の事態にはならなくてすんだ、それも運だったのかも。
「ありもので出資せずお金稼げるから良いじゃん」
どころではない。場合によってはマイナス喰らいます。

その後の創作活動にも影響出るし、一次創作で食ってる人は創作活動が経済活動だから、それができなくなるって、どういうことかわかりますよね。
本当に怖いです。



ここまで


ラジオドラマのことはあまり良い思い出ではなかったのと、由利編集長にあとがきをボツにされたのであんまり言っちゃいけないことなのかな、というのもあってそんなに言わずにきました。
決して相手を悪く言うつもりはなかったんですが、「あったこと」は制作側の原作軽視と受け取られかねないので、制作会社の悪評へ繋がると懸念したのかもしれません。その時の企画では3作品がラジオドラマ化されたのですが、他の2作はともかく、何故そんなに人気があるわけでも無い本作が?というのは不思議だったので聞いたけどあんまり覚えてないです。編集長が推してくれたとかだったかも。
結果的に作者による脚本の手直しはありだったからよかったけど、その後にラジオドラマ化した別の作品では作者さんが脚本参加してたと思うので「あれ?」と思ったけど、恐らく早い段階でそれが決まってて、自分の時はもう脚本の人決まっちゃってるから降板は駄目、ということだったのではと。例え脚本全直しでも脚本家のクレジットはした方が良いとか、そういうことかも、と今では思います。
担当編集と制作会社に行き、社長と挨拶の後お食事に行って社長だけビ−ル飲んでるみたいになって(私は飲めないし担当も飲まなかった)、そこで色々本音が出たんだと思いいますが、原作者にごねられたくない、制作遅れるし、原作者の好きな声優とか指定されても値段が高くて無理、とか制作の愚痴を色々お話し下さって、原作者を目の前にして原作者の悪口よう言うわこのおっさんと思いましたけど、裏話として制作あるあるみたいなことを聞けたのは面白くもあったし、できあがったドラマ自体は楽しく聞かせていただきました。
脚本を直させてもらって本当に、本当に良かったです。直してなかったらちょっと聞けなかったと思います。私自身、そんなに原作通りでなくても構わない派ではあるんだけど「そこ変えちゃ駄目」みたいな変え方をされてたと思います。
声優さんはデモテープ(当時はまだカセットテープ!)もらった時点で決定しており、ちょっとがっかりしましたけどセッちゃんの声優さんの鼻にかかった感じとか良かったし、出演者の中でお名前を覚えてるのはうえだゆうじさんだけなんですけど、今でもお名前を見かけると「鳥井くんをやってくれたうえださんだ」とか思います。音楽は元CCBの関口誠人さんで、最近のインタビューで知りましたが所属した事務所がまともに仕事を取ってこなくてアニメとかやってた時期があったんだそうで、恐らくその辺りの時期だったのでは。良いお仕事して頂いたと思います。その節はありがとうございます。
色々と思いはありますが、当時の関係者の皆さんありがとうございました。

編集長も遠いところへ行かれたとのことですし、時効ということで記憶の一遍として記します。

放送日時は忘れてたけど、父がメモしておいてくれたのを最近発見しました。
お父さんありがとうね。
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posted by ゆかわ at 05:09| 東京 ☁| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月03日

27年前の9月号。

産業廃棄物を整理していたところ、思いがけない物を発見。

見て下さい。

これは・・・
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平成八年のアフタヌーン本誌。
1996年。
なぜここにこんなものが。

産業廃棄物は本当に本物の産廃で、本があるのが不自然な場所です。

よく見るとしおりが挟まっている。
しおりっていうか封筒を切った切れ端。
DSC_1119_20231003065236.jpg

この部分で本の背表紙が折れてます。
ここばっかり開いてたのかな。

開いてみると・・

アッ。

DSC_1120_20231003065201.jpg

拙作・・・。

ボールペンの赤字で何か書いてあります。

アアッ!

DSC_1121_20231003065046.jpg

ラジオドラマですって。
確かにそういうのありました。

整理していたのは父の仕事場です。
これは恐らく父の字でしょう。
ラジオドラマがあるって話した記憶はないんですけど・・・
自分がなんとなくしゃべったのかな。
もしかしてあのときのラジオ、聞いたのかな。
尋ねても覚えてないだろうな。
ここでこんなのが出てきたなんて、
父にがんばれよって言われたような気がします。
ていうか、ここらへんは27年前の地層か・・どんだけ片付けてなかったんだ父。





作者は過去作を滅多に見返さないのですが
この回を見たところ・・・
絵も内容もひたすらにお恥ずかしいです。
穴があったら入りたい。
もちろん当時は必死にがんばってました。

しかし、落ち着いてちょっと考えてみました。
作者はどうしてこれを描いて、そして掲載されたのか。

これはセッちゃん回です。
ただキャラクターの午前中の行動を描いてるだけなので、いきなりこれだけ読んでもなんだかよくわかんないと思います。

これが描かれて掲載されているということは、編集部や雑誌、そして読者さんがこれを許容してくれるという前提があった、ということです。
例えば連載1回目でこれは描けないし、ネームはボツになるでしょう。
こういうものをなぜ描けるか、そして掲載されたのかといえば、
まず連載を続けさせてくれた雑誌があったから。
この回に限って言えば、作者がセッちゃんのことを描いて、みんなに見てもらおうと思ったから。
連載をそこそこ続けていたことで、彼のことを見て、知ってくれた読者さんの存在があったから。
人物を包括する世界観を、みんなで共有していたから、それが可能だった、と言えるのではと。

キャラクターをどんな人物か理解し、親しんでもらうには、それなりの長さの連載が必要で、それこそが「そこそこ長く連載する」意味であり必要性である。
という結論を得る作者。

この作品にはモノローグがほとんどありません。ユーレイくんなどしゃべらない系の人は逆に多くなったりしますが、基本としてその人の行動を外から眺めてもらう、第三者の目線で見てもらう、という作り方だったと思います。
モノローグを増やせばそのキャラに感情移入しやすくなり、物語によってはその方が効果的ですが、これはそうではない作品であり、読む人を選ぶという側面はあったかも。
この回にもモノローグはありません。
セッちゃんが何を考え、何を思って行動しているのか、特に説明されません。
背景などで気分は表現されていますが、「見て」「考えて」もらわなければならない。
これを初めて読んだ読者には恐らくそれを詳細にはできません。
ここまで連載を読んできた人なら、彼を好きな人なら、想像してもらえる。
読者に期待するものが大きすぎる。
一見さんを排する恐ろしい読み切り回。
もちろんこれで興味持ってもらえたら嬉しいけど、特に親切な作りにはしませんよ、って。
こんな作品を擁する体力があった時代と雑誌には感謝しかありません。


連載がキツくて、終了間際は心身共に消耗しきっていましたが、
今回わかったこと。
彼らの生活する世界を共有してもらうには、それなりの時間と長さが必要で、そのために連載を続けていた。
がんばって良かった。
読んでくれた皆様、掲載先様、改めまして、
ありがとうございました。

がんばろうストロウイカ。


追記・担当氏のことを書き忘れていましたが担当がT本さんでなければうまく行かなかったと思います。濃いめの漫画読みとして信頼のおける人でした。
お世話になりました。
この回の打ち合わせで担当氏のコメントは「10時に起きたらもう学校行かないよね」だったかと記憶してます。
それで最終ページのあおりがこうなってるわけです。
DSC_1122_20231004031435.jpg

ちなみに最初のページはこう。
DSC_1124_20231004031257.jpg

表紙は自主休暇って書いてるけど学校行ってるから半休ですよねー。ねー。
雑誌掲載って担当氏とのコラボになるわけなので方向性とか相性は大切です。
posted by ゆかわ at 08:40| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月26日

レッドアラーム緊急事態!

携帯の充電切れそうになって赤ランプついてたのをみて
思い出しました。

「レッドアラーム」という名のゲーム。


Virtual Boy Longplay [02] Red Alarm (3D)

あこがれの3DSTG!

赤い・・・

バーチャルボーイという、覗いて立体視できる筐体のゲーム機。
3Dなんて今では珍しいものではないですが、もともと3DCGという物に憧れがあって、
家で立体ゲームが遊べるなんて最高じゃん!と、わくわく本体購入、
レッドアラームのCMを見て、これが遊びたいので欲しかったんですが
恐らく筐体発売時の人気ソフトで売り場になく、
これではないシューティングを買いました。

ゲームはシューティング派でした。
もはや死ゲーマーなのでお恥ずかしいです。


これです、「バーティカルフォース」。
一応3Dだけどそんなでも無い感じだった気が。
音楽もいいし普通におもしろそうなので普通に遊んでみたいです。

Virtual Boy Longplay [03] Vertical Force (3D)


だがしかし・・・

実際やってみると肩こりが激烈にひどくなり、とても繰り返しプレイする気になれず、数回しか遊べませんでした・・・もったいないけど仕方ない。
本体はまだ持ってます。ソフトはわからず。動くかどうかは不明。


VRの時代になってるのにそちらには全く食指が動きません
あんなに憧れてたのになあ・・
やってみたら面白いのかもしれませんが、試す機会もないし、変な肩こりとか頭痛とか発生したら嫌だし。
バーチャルボーイのひどい肩こり体験がマイナスイメージになったかもしれません・・・



posted by ゆかわ at 09:46| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月12日

ちょっと思いだしたので書いておく系

そういえば、モーニングに持ち込みしてたんです。
アシ先の先生の仕事場に出入りしていた編集さんが、その場にいたアシにも名刺をくれて。
私もいただいたので、それを頼りに出向きましたが、その編集さんは他誌の自分の掲載作品を見ていてくれて
「そのうち何か頼もうと思っていた」と。

勇み足だったかもしれない・・・


ある時に持っていった原稿を「四季賞に出してみないか」と提案をいただきました。
当時はモーニングとアフタヌーンが同じ編集部だったのです。
後に分離。


追記:その時までアフタヌーンという雑誌の存在も正直よく知らなくて、自分が関わる以前にどんな作品が載ってたかもわからない感じでした。
Zくんのころとは違って「あこがれのあの雑誌に」みたいのは特になかったですし、それで良かったんだと思います。


それで最初の四季賞をいただきました。
「ロック・ザ・火葬場」と藤崎くんの話。
佳作。

その後ネームなどをいくらか見てもらいましたが採用はなく、間が空きます。
というかほとぼりを冷ます意味で敢えて空けてみました。

アシや他誌での持ち込みを続けながら、4コマ漫画の連載などもしつつ、
まとまったストーリーの作品で掲載される、連載を持つこと、というの目標だったのでそれを叶えるため
改めて今度は「アフタヌーン」に持ち込み。
編集部の近くまで行って電話、当日見てもらいました。
ほぼ飛び込みに近い感じで、今だと無理かも。
その時見てくれた編集さんが連載担当に。
そのとき原稿を持っていったのか、細かいことは忘れましたが、編集氏によれば「一度佳作もらってるからそれ以上行けるでしょう」とのことで、言われたとおり2回目の四季賞で入選。
大賞はもうこれが大賞じゃなければ何なの的な、絵も上手いし良くできた作品で、それもその後連載になりました。

「(入選作の)続きのネームを描いてみて」というオーダーで2〜3話できてFAXしたところで※
編集部から連絡。

「連載」

えっ

まじですか。
こんな急に・・
本当はもっと準備がいるのではというか読みきりの1本や2本載せてみて様子見るとか、では?
と思ってたので、嬉しさよりもまずびっくり。

新人ではないので作業にあたって問題はないし、当時は頼れる先輩もいてアシでお世話になった先生達とも繋がりがあって相談もできるし、だから全然できるんで良かったですけども。
当時関わっていただいた皆様ありがとうございました。

当時の編集部って、全くの新人さんにも同じ様なことを・・・してませんよね?
してたら恐ろしいですね。知り合い誰もいないんでわからないんですけど。
それこそ「こいつは新人ではないからやらせてれみればできるはず」という評価をいただいていたのか、細かいことは何も聞いてないのでわかりませんが、なんと言うかおおらかな時代だったんだな、と思います。
ちょっとびっくりしましたが、賞金を早めに振り込んでもらって首が繋がる様な暮らしだったのでそれはそれで助かりました。


あの連載はこのように何となく始まったのでした。
というお話でした。
終わりも色々あったけどまた機会があれば。


※ 
編集部からのオーダーですが、ネーム作業までは無料で行われます。
直しが出ても没でも無料。
お金にはなりません。
イラスト仕事や個人オーダーみたいな漫画だとお金請求するみたいですが、一般商業漫画ではこれが基本です。
posted by ゆかわ at 06:58| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月05日

ビリー・オーシャン「ゲットタフ」および1984年の映画の話

シネマトゥデイ「キング・ソロモン」の解説でも触れられていた
84年の「ロマンシング・ストーン 秘宝の谷 」

見たかったけど未見。
テレビ放映もあっただろうけど巡り会わず。
監督はゼメキスなんですね。

この映画公開の頃、別の映画を観に行って、
休憩の間にこの映画のプロモ映像と、主題歌の「ゲットタフ」が流れていました。
客電ついてるからちょっと明るくて画面も見にくいし、
コレ見たい人はトイレ行けないじゃん!
帰ろうと思ったのに、見ちゃうじゃん!
という、
これはなかなか素敵なプロモだな。。。。
と思いつつ入り口付近でスクリーンを眺めていました。
今かかってる映画の後の上映予定だったのかなと思います。

私は何を観に行ったのか・・・
そこはどこの映画館だったのか。


1984年の日本公開映画

夏だった気がしますが思い出せない・・・

もしかしたら友達と観に行ったインディ・ジョーンズか・・
ひとりだった気もするんだけど、トイレに行った友達を待ってた間に見たような気も。
映画鑑賞は基本ソロ活動だったので、友達と行くパターンは珍しいのです。
映画の日で混んでたのを覚えていて、当時の映画の日を調べると9月1日に該当するぽいので、そこあたりかも。
しかし1984年9月1日は土曜なので、当時は土曜半ドンでしたから午後から映画観に行ったのかな・・・
映画の日だから友達が何か見に行こうと言いだして、見たいのがインディ・ジョーンズしかなくて、というノリだったかと。
「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」は公開時期からは結構たってたから空いてると思ったのに、みたいなことも思った気がするのでやはりここかな。
というところまで思い出しました。
もしくはレンズマン・・・ こっちかな。



懐かしいタイトル発見。
当時は積極的ホラーファンだったので「アギ  鬼神の怒り」観に行っちゃいました。
「アギーレ 神の怒り」とは無関係だと思われます。
(追記:監督がもじってつけたというツイートなど有り。)
ちっちゃい上映館でちょっと緊張しながら。
今はJホラーとかがんばってますけど、当時の日本製ホラーと言えばあんまりぱっとしなくて、人気タイトルは洋画ばかり。
そんな中、比較的特殊メイクをがんばりました!という触れ込みの。
うん、確かにメイクはがんばってる!という感じだったと思います。
内容はあんまり覚えてないけど赤星昇一郎さんが出てました。
年間でも随分観てたんだな。
懐かしいです。



主題歌もヒット、タイトルの「ロマンシング」という言葉がちょっと流行って
ゲームタイトルなどに流用されてました。

映画出演者とビリーオーシャンのPV、楽しくて良いです。


Billy Ocean - When the Going Gets Tough, the Tough Get Going (Official Video)



ラベル:動画 映画
posted by ゆかわ at 06:07| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月22日

漫画原稿料のはなし

ノートに書いてきました。

https://note.com/stlowika/n/n7936ce8610aa

カテゴリは
むかし話かな。

posted by ゆかわ at 07:35| 東京 ☁| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月21日

ザ・ウルトラマンとウルトラマン80の再放送

今の所なんとか追いついてるyoutubeの80

『ウルトラマン80』
第3話「泣くな初恋怪獣」

-公式配信- 2週間限定配信 ULTRAMAN 80 Episode 3

ザ・ウルトラマンもあったので見てみたら、
制作はサンライズですが隊長はコンドルのジョー(名前はゴンドウ)みたいだしメーテルみたいな女性も出てるし、なんかカオスな作画・・・
これは円谷のオーダーでこうなったのでしょうか。
op、edの映像はいいかんじで円谷っぽさも出していて、良くできてると思いました。

本放送時はあまり見てなかったのですが、opとed曲が良いので好きでした。
特にエンディングの「愛の勇者たち」は名曲だと思います。

『ザ☆ウルトラマン』
第47話「ウルトラの星へ!! 第1部 女戦士の情報」

-公式配信- 1週間限定配信 "THE ULTRAMAN" episode 47 -Official-

もうすぐ終わるのでお早めに。


で、これを朝の時間帯に放送してた記憶があって、夜から朝に時間帯が変わったのか、または再放送だったのか調べると
wikiでは
1979年(昭和54年)4月4日から1980年(昭和55年)3月26日まで、 TBS系で毎週水曜日19:00 - 19:30に全50話

とあり、朝に移動した記載は無し。
朝の放送は、土曜朝7時台だったと思います。
地域は東京です。
家族はすでに起きてるんだけど自分だけ寝ていて、寝ながら「愛の勇者たち」を聞いたり、早めに起きて一緒に見てたりしました。
6時台ではまだ家族は起きてないし、8時台では年寄りがNHKを見るため変えるので7時台であると思います。
80年代であることは間違いなく、するとこれは再放送だったのかと思います。
自分の記憶としてメモしておきます。

イントロで掴まれる〜

ザ☆ウルトラマン (Ultraman Jonias) ED - 愛の勇者たち (Heroes of Love - w/ English Subs)



ウルトラマン80は再放送がなかった、としている記事がネット上にありましたが、実際のところ、再放送はありました。
これはTBS早朝5〜6時台です。多分、80年代のどこかだと思います。
実家で、自分ひとりで起きて見ていました。
眠いので本編はこたつで寝ちゃって、タリスマンのファンだったからとにかくopとedが聞きたい!という一念でがんばってました。

出演者のひとりである白坂紀子さんは、TBSの番宣番組「夕焼けロンちゃん」でロングおじさんのアシスタントをしていた新人アイドルでした。
番組で呼ばれていた「のんちゃん」の愛称まんまで80にも出演。
「のんちゃんが出てるから」というのも見るモチベになってました。
多くの人がそう思ったように、あの鼻には違和感があったし怪獣もださかったので、当時の印象としてはちょっと微妙でした。
今見てみると話が面白いし、これも言われてるように、確かに殺陣がすごいです。
ウルトラマンの中の人がソバットを!とか、確かにプロレスみたいなクオリティ。

私が生まれて初めてタリスマンを見たのも、夕焼けロンちゃんでのスタジオライブでした。
新番組のウルトラマンが始まるからとのことで、バンドが招かれ演奏を披露したのです。
生演奏だったかどうかはわかりません。
ちょ・・・
こ・・・・こんなカッケー曲がウルトラ主題歌に・・・!
見なな!
みたいにテンション上がりました。
これもメモしておきます。




すごいのがあった。初見ですありがとうございます

「ウルトラマン80」歌:TALIZMAN
1980年3月20日「これがウルトラマンのすべてだ! 大集合ウルトラマン・80新登場!」

スタジオにちっさいおっさん来た・・と思ったらこの声でこの歌ですよ。
びっくりしますよ。
木村さんはもっと髪が短くて、ひげはなかったような。
コメに「ゴダイゴかと思ってた」という人多数・・・声 違うやろ?(´ー`)
しかし関係はあって、時々ゲストでゴダイゴの浅野孝已さんが入ったりしてるはずです。
つい、あさの「たくみ」さんと思ってしまう・・・
この映像の人は違う気がします。

posted by ゆかわ at 10:12| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

すきま

引き続き労働中。
部屋が荒れ放題・・・
洗濯もたまり放題。
手洗いしないといけないのでたまります。

以下にっき。

幼稚園をさぼる幼稚園児でした。
https://note.com/stlowika/n/n719e8a9ee0ea


posted by ゆかわ at 07:41| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月07日

えいようビタミン

体調が崩れまして、いつものパターンですがなかなか戻りません。。
今回はおや風邪かな?と思ったらそうじゃない流れになったのでまだよかったです。
吐かなくなったので念のためみかんを食べてビタミン補給します。
だいたい2,3日で治るのですが起きてるのがちょっとしんどい(´Д`)
かといって寝過ぎもよくないので難しいです。

昔から不定期で体調崩すのですが、体調も崩れず風邪も引かない人にこういうのを伝えるのがけっこう難しいです・・・
家族でも私とイカ母が似た体質、その他の人は大丈夫なので、
たまに倒れ伏していると、さぼって寝てる!みたいに思われたり。
イカ母がナカーマで理解してもらえるのはよかったけど
多分イカ母からの遺伝なので・・・
血の繋がりを感じつつちょっと複雑な気分です。


ふと思い出したんですが8〜90年代にビタミンサプリブームがあって、
タブレット系のお菓子の出始めでもあり
ビタミンC入りのタブレットとか飲料とかとにかくたくさん出ました。

Cを水に溶かすシュワシュワするの好きで、薬局でよく買いました。
赤いパッケージで丸いのが4個入り。名前なんでしたっけ。
また飲みたい。
鉄もありました。鉄のパッケージは緑。
その頃出たファイブミニとかC1000タケダなんかはまだありますね。
今は「タケダ」が取れてたと思います。
ファイブミニは山田邦子さんがCMキャラでした。

発見。このバージョン始めて見ます。いやちょっと記憶あるかな

【80s】 懐いCM 山田邦子 大塚製薬 ファイブミニ

最後の しーせんたっけっだ♪ っちうのは覚えてます。女性はちはるさんかな?

【90s】 懐いCM 島田伸助 武田薬品 C1000タケダ

その頃はアシスタント死ながら(誤変換ママ)そういうのよく飲んだり食べたりしてたのに
今はさっぱりです。
年取ったからむしろ必要なのに。
意識してとってみよかな。
posted by ゆかわ at 08:38| 東京 ☁| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月10日

ゾンビの思い出とか

検索してたらこんなのを見つけてしまいました。


「ゾンビ-日本初公開復元版-」本予告|2019/11/29(金)公開

「ゾンビ」日本初公開復元版、11月29日公開! “惑星爆発の光”とらえたビジュアル発表
2019年8月30日 16:00
https://eiga.com/news/20190830/16/

いい肉の日公開だそうです。
ホラーなおじさん達が集合しそう(´ー`)
その筋で今ではロメロ版が「本編」みたいな扱いですが、確かに興味深くはあります。


バージョンがたくさんあることに関してはこんなインタビュ−が。

『ゾンビ』のバージョン乱立の裏話(ロメロ本人によるインタビュー証言あり!)
2018.11.16
https://www.thecinema.jp/article/727

以下引用




−−『ゾンビ』には監督の手がけたバージョンは127分のアメリカ劇場公開版と、139分のエクステンデッド・エディション(ディレクターズ・カット版)がありますね。


ロメロ 僕自身、いろんなバージョンが出ているのは知ってるんだけど、それぞれのバージョンを全部は観ていないし、どれがどれだかよくわからない。契約上ダリオ・アルジェントがヨーロッパの公開版の権利を有し、彼がカットするという条件だった。それは彼の方がヨーロッパの観客の好みを知っていて、僕のほうがアメリカの好みを知ってるからっていうことで、だから僕がアメリカ公開版をカットした。それがオリジナル版かと言われればそれかもしれないし、ダリオのカットしたものもあるし、僕が一番最初にオリジナルをカットしたものもある。だから何をもってオリジナルかというのはわからないし、よく特典映像とか言って誰も観ていない映像ってのがあるけど、そういうのは僕も見てないくらいでね(笑)。いったい誰が撮ったんだというような映像があるもんね、『ゾンビ』には。

(中略)

 そもそも、なぜこうしたバージョン違いが生じたのかは、ロメロが言及したとおり流通権の分与が起因となっている。国内での資金調達に限界を覚えたロメロと製作会社「ローレル・グループ・エンタテインメント」の代表リチャード・P・ルビンスタインは、資金援助を海外に求め、同社の渉外担当であるアーヴィン・シャピロを通じて『ゾンビ』の脚本を海外の映画関係者に配布。それに反応したのが、当時最新鋭のサラウンド音響設備を活かしたいという理由で作品を探していた、プロデューサーのアルフレッド・クオモだったのだ。加えて氏がダリオ・アルジェンドへと脚本を手渡し、彼らはヨーロッパと極東、そして日本など英語圏以外の権利と引き換えに、イタリアの映画製作会社「ティタヌス」に流通権を販売。投資をバックアップしたのである。





とのことです。

その筋では、アルジェント版はロメロオリジナルからの改悪版なので日本公開版も含めよろしくない、みたいなご意見がありますが
「興業上のバージョン違い」みたいなものかと。
アルジェント版の冒頭テレビスタジオシ−ンはいかにもアルジェント風なので
アルジェントが撮ってつけたのではと想像できますし、それはそれで楽しいかも(´ー`)
確かに雰囲気は異なりますが、ゴブリンの曲が好きなので私はどっちもありです

1129の日とかwikiとか見てたら公開当時の様子などを思い出してきて、
その頃列島はオカルト映画が流行、アルジェント監督も「サスペリア」で話題をさらっています。

「エクスシスト」
米で1973年12月26日、日本で1974年7月13日公開

「オ−メン」
イギリスで 1976年6月25日 日本で1976年10月16日公開

「サスペリア」
イタリアで1977年2月1日、日本で1977年6月25日公開
(いずれもwikiペディアより

オカルト映画花盛りですねえ・・・
マニアだけではなくみんな観てましたから。
あの頃に戻って再体験してみたい。

「ゾンビ」は
1978年9月にイタリアで公開、日本では1979年3月に公開

特にエクソシストの大ヒットは凄まじく、
ここからずっとオカルト映画のターンみたいだったところへの
生ける屍降臨。
これはある意味事件です。

オカルトは神や悪魔、心霊現象などを扱うジャンルで、
「ゾンビ」も作中で宗教的なものと結びつけられてはいますが、
(ちなみに原題は Dawn of the Dead, 「ゾンビ」とつけられたのはアルジェント版、つまりロメロ監督は「ゾンビ映画」のつもりで作ってなかった
生々しいフィジカル表現やアクションシーンで盛り上げるなど、
今までのオカルトとは違う「ホラー」作品の出現に、人々は大きな衝撃を受けたのだった!
みたいなところだと思います
私はリアルタイムでは見ていませんが宣伝は結構覚えてます。
今までの恐怖映画で一番怖い作品といわれてた気が・・・
売りは、オカルトとは違うそのリアルさ、生々しさ。
とにかく雰囲気が怖すぎ
顔を青く塗っただけの人が写ってる写真も怖かったし、「未知の物」としての怖さもありました。

その頃のわたくしといえば怖い映画が苦手で、見に行こうなんて全く思ってなかったです。
その後は無事ホラーファンと化しましたので、超有名作はやはり観ておかないと・・・というわけで94年(ごろ)のディレクターズ何とかを見に行って
そこでいきなり大好きになってしまいました。
こんな素晴らしい作品を私はちゃんと観ていなかったなんて・・・

かつての私はその後徐々にホラーを克服し、むしろ見ていこうという方向性になって
今ではほとんどしなくなった映画のレンタルをいうものをしてみました。
その頃TSUTAYAみたいな大型チェーンは存在せず、個人経営のレンタル店がほとんどでした。
(駆逐されてしまいましたね。。。ホラーが並んでたマニア店も今は昔でさみしい)
専門店以外にレコ−ド店や書店でもレンタルを始めていて、私はある日一本のホラー映画をレンタルします。
生まれて初めて借りたビデオ。
書店の隅っこの小さなラックに並んでいる作品は十数本程度、その中からなんとなく、ジャケで決めました。
それはロメロ監督の「マーティン」という作品でして、
恐らく低予算で、何の特撮もメイクもアクションもなく
(あるけど派手ではない)、
自分が吸血鬼だと信じる少年が出てくるのですが本人がそう言っているだけで証拠はありません。
牙もないし昼間も行動していることについては本人が理由を説明します。
もし本当の吸血鬼なら・・・。
いやそんなものいるはずがない。
だがしかし・・・
彼を注目する神父の存在。
(牧師?カトリックではないかと思うので多分神父。プロテスタントなら牧師)

淡々とした進行、本人の主張という設定だけで物語が走る感じとか、
シンプルだけど色んな要素で恐ろしさが表現されていまして
予備知識なしで観てたのでラストの衝撃がものすごかったです。
彼がどっちなのかという認識によっても変わるかも。
観るつもりの人は検索なしの鑑賞をオススメします。
見る人によって、どう受け取るかで、印象は変わるのではないかと。
これはもう一回観ないとまずいんですけど果たされてません・・・

ホラーも好きですがじつはサイコサスペンスが大好物で
特に特撮とかメイクもなくしかしなんだか怖いやつとか、
こうだ!ということではなくどうとでも解釈できたりとか、
鑑賞後もやもやするやつがとても好きで、
これはまさにそのお手本的な作品だと思っています。
しかし好きなものって出会いが少ない・・・

ロメロ監督は2017年に亡くなっています。
好きだけどあんまり追わない追えない自分としては、なんだかんだでロメロ作品は割と観れてます。
GYAOアルジェント版で観たゾンビでも、映り込むものも含めて好きな画面だなと改めて思いました。
あの時どうしてファンタに来てくれなかったのかな、お会いしたかった。
素晴らしい作品をありがとうございました。



ブルーレイ出たんですね。こうしてみると怖そう。
実際はあんまり怖くないかも、不気味な、あやしい、雰囲気だと思います。
映像の古い感じが良いなあ。無リマスターむしろ有り難し。
ジョージ・A・ロメロ追悼企画 マーティン/呪われた吸血少年 特別版 Blu-ray PV
当時のジャケはドアからのぞくマーティンが注射器をくわえてるとかだったと思います。

941 回視聴 •2018/11/01
本日2019/11/10 さみしい・・・(´Д`)


そろそろブルーレイ買わなきゃだめかなあ・・・
稼ぎが生活に消えていくのでこっちはなかなか。
ラベル:ホラー
posted by ゆかわ at 01:13| 東京 ☀| Comment(0) | むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする